フシギな話:大乗アート教
第2話:大乗アート教
ここは、宇宙を越えた特別な場所。
僕は今からここで、どこかの誰かと対話をする。
その相手もまた、遥か彼方からここに呼び寄せられる。
ただ一つ、“僕と共通の話題がある”という条件のもと、時を、星を、宇宙を越えて、選ばれた存在がここにやってくる。
僕はその相手と、僕が思いついたテーマについて会話をする。
暫くすると、目の前に画家風の格好をした動物のような者が現れた。
やあ、はじめまして。
僕はマスフォー。
はじめまして。
私はゴッシ。
どうやら、僕たちは全く違う世界から今ここに来ているらしいんだ。
夢だと思って、少しの間だけ会話に付き合ってくれるかな。
まさに夢って感じの状況だね。
面白そうだし、付き合うよ。
突然だけど、君に聞きたいことがあるんだ。
何だい?
生きる意味って、なんだと思う?
唐突で大きいテーマだね。
君はどう考えているの?
僕は最近子供が生まれたんだけど、それから何もかもが意義深く感じているんだ。
ほう。
今までは、仕事とか、家事とか、人生におけるそういう時間は、どこか義務的で単調なものに感じていた。
けど、今はその全てが我が子の命を育むための手段になっている。
そう思うと、何をしていてもすごく充実した気持ちでいられるんだ。
素晴らしい話じゃないか。
つまり、君にとっては子どもが生きる意味なんだね。
うん、少なくともここ最近の僕にとってはそうだ。
だから、全く違う世界で異なる価値観を持つ君はどうなのかなと思ってね。
考えを聞かせてよ。
私たちにとっても子供は希望を与えてくれる素晴らしい存在だよ。
でも、私たちはその問いに対してもう少し包括的で画一的な答えを持っている。
生きる意味というのは“感じること”なんだ。
感じること?
うん、生きている間にどれだけ何かを感じられるか、ということだ。
感じるって、具体的にはどんなことを指しているの?
感じ方にもいろいろ種類があるよね。
ネガティブな感情でなければ何でも良いさ。
喜び、楽しみ、あこがれ、ワクワク、うっとり…そういうものなら何でもOKだ。
なるほど。
すると君の世界では、家庭を育むのも、友達と遊ぶのも、仕事をするのも、趣味に打ち込むのも、すべて自分自身が何かを感じるため、ということなんだね。
その通りだね。
そして、自分が感じるだけではなく、いかに他者に“感じさせる”かも大事だよ。
感じることも、感じさせることも、両方大事なの?
うん。
皆が感じようとするばかりじゃダメだ。
需要ばっかりあっても、供給が追いつかなくなるだろう。
誰もが何かを感じさせようと頑張るからこそ、世界は何かを感じられる機会で溢れるんだ。
確かにそうだね。
誰かに何かを感じさせるために頑張ることって、例えばどんな事?
最もシンプルなのは、自分の内面を表現し続けることだ。
つまり、アートだね。
誰もがアートに生きるべきであり、それが唯一にして最上の生き方なんだ。
これは私たちの世界で共通の宗教でありルールでもある。
大乗アート教と呼ばれているよ。
世界で共通の考え方を持っているなんて素晴らしいね。
でもアートって高度で、誰もが出来る事ではないんじゃない?
もちろん、映画を撮ったり、音楽を作曲したり、絵を描いたり、文章を書いたり…
そういう事を皆が出来るわけじゃないね。
うん、そうだよね。
別に難しいことはしなくても良いんだ。
一人ぼっちでも、スキルがなくても、お金がなくても…
どんな環境でも、きっと何かはできるはずだからね。
自分にできる限りのことを、できる範囲に向けてやり続ければ良いさ。
難しくないアートってどんなこと?
そうだなあ…
好きな服を着て出かけたり、庭で好きな花を育てたり、あるいは、会話の中で面白いことを言ってみたり…
例えば、そんなような事でも十分なのさ。
ほんの些細なことでもいいんだね。
そして、アートを向ける先が目の前の相手一人だけでも、良いということか。
とにかく受け身で感じるだけではなく、どんな方法でも良いから、どんなに小規模でも良いから、自分の内面を具現化して表出しつづけることが大事なんだ。
僕たちの世界でも教訓になりそうな考えだよ、ありがとう。
ところで、最初に子供の話をしていたけど、君たちにとって子供はどういう存在なのか教えてほしいな。
子供ね。
先に話した通り、私たちの生きる目的は感じることだ。
うん。
すると、私たちの種全体の目的はこうだ。
“感じる”量を増やすこと。
つまり、種全体としてのフィーリングの量を最大化することにある。
ほう。
そのためには、フィーリングの源泉であるアートと、アートをつくる存在、それらは増えれば増えるほど良い。
私たちにとって、生殖はそのための手段の一つだ。
アートを育むために、命を育むということなんだね。
うん。
一個にとって命はひとつだし、寿命も限りがあるだろう。
けど、一個が作ったアートと、それが生んだフィーリングは残り続ける。
命を燃やして生まれたアートとフィーリングは、命が燃え尽きたあとも巡り続けるんだ。
だからこそ子供という次なる命は、次なるフィーリングを生む存在として、
私たちにとって希望に溢れたものなんだよ。
なるほど、良い考え方だ。
実はね、私自身は子供がいないんだ。
だからなおさら、大乗アート教の素晴らしさを感じているんだよ。
そうだったのか。
君が感じている素晴らしさとは何?
何かを感じつづけて、アートに生きつづけてさえいれば、自己は実現できる。種のためにもなる。
これが私たちの価値観だからね。
これってつまり、心さえあれば十分ってことなんだ。
子供がなくても、人望がなくても、お金がなくても、体が弱くても…
どんな過酷な環境も状況も、私たちからアートを生む心を奪うことは出来ないのさ。
感じること・表現することが最上位にあるからこそ、それが満たされてさえいれば人生は充実しているんだね。
その通りだよ。
おや…なんだか視界が霞んできたな。
…少しずつ意識が薄れてきたね、これは終わりの合図なんだ。
今日はすごく刺激になる会話をありがとう。
どういたし…まして。
君が…良いフィーリングに恵まれることを…祈っているよ。