インターネット歴22年の僕がいまさらブログを始めた理由

このブログをはじめた理由や意思を残しておくための自分語り。

「情強」として生きてきた青春時代

1990年、僕は北海道の田舎町に生まれた。 当時の地元で、僕ほど若く早くインターネットにハマった人間は珍しかったはずだ。 最初にアクセスしたのは週刊少年ジャンプの公式サイト。 Yahoo!のトップから辿り、インターネットの海で掲示板やらチャットやらを探索する日々。
こんな田舎の町から、日本中・世界中の人と繋がっているんだ…
まだケータイも普及してないころだった。 それこそジャンプの主人公にでもなって、力を授かったような万能感・ワクワク感。 世界の色が変わり、僕はみるみるインターネットの虜になった。
数年も経つと、まわりの同級生たちもインターネットを始めだした。 ちょうどそのころ、面白Flashのようなカルチャーが流行っており、これが子供たちのインターネット進出に一役買っていた。 一方…僕は2ちゃんねるにドップリとハマり始め、飛び級で厨2病していた。
このころから「自分でHPを作りたい!」という気持ちが湧いてきた。 当時のインターネットキッズとして、自然な成長ステップだろう。 Yahoo!ジオシティーズから入り、ノウハウを溜め、そのうち有料サーバーで独自ドメインのサイトを作った。 誰かがつくったperlやphpのプログラムを見よう見まねでカスタマイズし、HTMLは自分で書き、掲示板やブログのある立派なサイトをつくっていた。 当時の中学生が運営しているサイトにしてはそれなりにアクセスのあるサイトだったと思う。
が、当時アドセンスやアフィリエイトには手を出さなかった。 幼い僕には野心がなかったというのもあるし、当時のコミュニティには漠然と「儲けるのは悪」という雰囲気があった(気がする)からだ。 僕はただ、仲良くインターネットの住人と遊んでいかった。 だから少ないお小遣いで、自腹でサイトを運営していた。
ここまでは、何となくいい感じに成長しているように思える。 「その経験もあって今はフリーランスのエンジニアです」というオチにでもなりそうなスタートダッシュだが… 残念ながら、インターネットで「つくる側になる」という野心は少年時代がピークだった。 高校・大学はただ楽しむ側として、インターネットを消費する生活になった。 社会人になってからは、精神的に自由な時間が減り、少しずつ、少しずつ… インターネット自体から遠ざかっていくようになってしまった。

コロナで蘇った、あの頃の衝動

時は流れ、2020年のはじめ。 コロナウイルスがまたたく間に世の中を変えた。 僕も在宅ワークをする日々となったが、これにより大きな変化が2つ起こる。 自宅が快適になったことと、精神的に自由な時間がふえたことだ。
在宅ワークが中心になると、モニタ・キーボード・椅子など、デスク環境をよくするための投資をはじめた。 すると同時に、プライベートなインターネットの環境も一気に快適になるという現象がおこった。
さらに、通勤の必要がなくなり、毎日の朝と夕方に、好きなことができる、自由な時間ができた。 その時間は「自分のためのインターネット」に存分に使われるようになり、幼いころのような、ワクワクできる環境が舞い戻ってきたのである。
少年時代、かつて最前線を走っていたはずなのに、いつのまにか足をとめてしまった。 インターネットの最先端と自分の距離は、どんどんはなれていく。 でも、どこかあきらめきれずにもいる。 インターネットを作る側の人生でありたかった。 そんな、かすれて消えかけていた希望が、野望が、ふたたびメラメラと燃えはじめたのだ。

YouTubeでの挫折の理由

そんな僕はまず「YouTubeで一発当ててやろう」と企んだ。 インターネットでなにかをつくること、少年時代に楽しくチャレンジできていたこと。 そして当時はできなかった、「コンテンツの力で稼ぐ」ということをやってやろうと思った。 YouTubeのアルゴリズムについて調べ倒し、20年3月からチャンネルをスタートしたが…
結果からいうと、半年くらいで更新をやめてしまった。 挫折した理由は、「自らにつくることを強いてしまった」ことだと考えている。 これは、「毎日、何時間もかかる」というような、辛くてめんどくさいことを自分に課したという意味ではない。 むしろ僕なりに工夫して、負担なく長く続けられるようなやり方をしていた。
具体的にいうと、週1回、猫の様子をアップするチャンネルをやっていた。 これであれば、「猫をスマホで撮る」というふだんの行動で自然に素材がたまる。 週末にたまった素材を編集する時間を少しだけとればYouTuberへの道が開ける!とコツコツつづけていた。 順調に登録者も増えていたが…半年くらいで、プツッと糸が切れたように更新の手を止めてしまった。 以降全く気持ちが沸かず、1本も投稿せずにいる。
昔から三日坊主ではあるが、熱い気持ちで始めたYouTubeをパタッとやめてしまった自分自身に嫌気が差し、とても悩んだ。 なんでだろう。 すごく燃えていたのに…なぜ更新する気が起きないのだろう。 「自分はダメな奴だ」という自暴自棄な結論を出す前に、真剣に原因を考えた。
僕が出した結論は、 「『可愛い猫の動画』が自分が本当にアウトプットしたいものではなかったから」だ。 猫への愛も、インターネットへの野心も、どちらも今でも全く薄まっていない。 作業負荷が著しく高かったわけでもない。 本当に、週1時間くらいの時間で無理なく出来ていた。 ただ、今までの人生で僕は「猫について発信したい」「人々の心を癒やしたい」というような志を一度も抱いたことはなかった。 それなのに、単純にチャンスがありそう&猫を飼っているという理由で、短絡的に「猫の動画」にポジションを取りYouTubeに参戦した。 これが良くなかった。

「息をするように自分の中から流れ出てくるもの」の発見

では、どんな媒体の、どういう内容であれば自分はインターネットで発信し続けられるのか? 僕が思うに、つくり続けるものは「息をするように自分の中から流れ出てくるもの」でなければならない。 意識せずとも、普段から自分が自然にアウトプットしているものだ。
僕はここ数年の自らの行動を見つめた。 インターネットへの好奇心が希薄になり、サラリーマンとして黙々とせわしく働く日々のなかで、誰に何を言われるでもなく、自分に何かを課すわけでもなく、ひたすら続けていた一つのこと… それは、気のおけない友人とのコミュニケーションだった。 良いと思った音楽や映画、ニュースを聞いて思ったこと、ちょっと哲学的な気分になって考えたこと、こんな便利なものがあったという情報、見た夢の話… そんな、人に共有するまでもないような自分の心の内を気軽にさらけ出せる。 努めて反応し合うわけでもなく、でもお互い見てはいる。 そういう心地よい空気感がある。 だからこそ、僕は友人へのアウトプットをずっと高頻度で続けていた。 これだ。 今まで数人の友達に向けて発信していたことを、世にむけて発信すれば良い。 ここでようやく本題に行き着く。

インターネット歴22年の僕がいまさらブログを始めた理由

青春時代以来、再び僕の中で燃えたぎるインターネットへの野心。 この向き先を、どうしようか。
  • 何を発信していくか?
いい音楽とか、映画とか、考え事とか、思った事を、発信し続ければ良い。 僕が普段生きているなかで感じたことを、そのまま、今までのように発信すれば良い。
  • どこで発信していくか?
今までの快適さを守るのであれば「文字での発信」「人目を気にしない場」であることが重要だ。 SNSという選択肢もあるだろう。 でも、SNSだとダメなのだ。
SNSはどうしても、「受け手の存在」を意識してしまう。 人との繋がりが明確に前提となっている場でのアウトプットは、必ず「見てね」という暗黙のメッセージが伴ってしまう。 だからこそ、自分勝手すぎる事や偏りすぎているような事は発信できないし、コメントがあれば返さないと失礼なような気がするし、「いいね」があれば何となくその人の投稿も気にかける必要があるような気がしてしまう。
僕にとってそのような場は非常にストレスフルだ。 言いたいことが言えないような間柄の人の思考に興味がなく、各種SNSは必然的に連絡網としての機能しか残っていない。
だからSNSではなく、コメント機能を排除し完全に独立したブログをアウトプットの場に選んだ。
僕は、今までの習慣の延長で、見ることを特定の誰かに強いることはなく、でも世界の誰かには見てもらえる可能性があるこの場に、頭の中をアウトプットし続ける。 インターネットという広い海の一隅でアクアリウムに勤しむような、そのような趣だ。
このようにして、ブログというものが自分にとって最適なインターネットの使い方であるということに、20年越しに気がついた。
これが「インターネット歴22年の僕がいまさらブログを始めた理由」だ。