読書が苦手な人は横書き&縦スクロールで電子書籍を読もう
昔から読書が苦手で、まともに本を読んだことがないというコンプレックスをテクノロジーの力でぶっ飛ばせそうなので、その方法を記す。
読書が苦手な理由:「縦書き」が読めない
僕は読書がすこぶる苦手だ。
おそらく生涯で「1冊丸々読み切った」本は10冊に満たない。
たまに興味のあるテーマの本を買ってみたりはするのだが、大抵序盤の数ページで力尽きて諦めてしまう。
けど、読んでみたい本はたくさんある。
でも力尽きる…そんな感じで、まともに本を読破したことがない。
一時期この悩みについて真剣に考え、読書が苦手な人の傾向と対策について調べた。
読み進めては数行前が気になり、また戻ってしまう……。だんだん繰り返していくうちに、本を読むこと自体が苦痛になってしまった経験もあるのではないだろうか。
本当にその通りだ。
本を開くと、一字一句意味を確認しながら読んでしまい、脳がフル稼働状態となり、眠くなって寝てしまうか、疲れて本を閉じてしまう、という感じだ。
ところが、「じゃあ、うまいこと読み飛ばしてみよう」と本を開いても、できない。
文章をいい具合に読み飛ばすには、文章全体を見渡してなんとなく流れや意味を捉えながら、大事そうなところには注目するという能力が必要になるが、そもそも文章を見渡しても全く意味が入ってこないので、結局端から一字一句読み込んでいくしか方法がない。
詰んだ。
諦めかけていたとき、あることに気がつく。
そういえば、インターネットをしているときは「文章全体を見渡してなんとなく流れや意味を捉えながら、大事そうなところには注目する」ということが自然に出来ている気がするな…
僕が苦手な「本」の文章とインターネットの文章の差は、もちろん出自や品質の差などもありつつ、究極的には縦書きか横書きかという差に尽きるのではなかろうか。
そこで試しに、挫折していた縦書きの本を横書きで読んでみた(※方法後述)ところ、驚くほどスムーズに文章が頭に入ってきて「大事そうなところだけを読み飛ばしていく」ということが出来てしまった。
つまり僕が読書苦手な理由は、世の中の本が「縦書き」だからだったのだ。
じゃあ、世の中の縦書きの本を全部横書きにしてやれば良い。
幸いにも、電子書籍というテクノロジーの力を使えばそれができる時代なのだ。
bREADERを使って電子書籍を読もう
ここからは具体的に「電子書籍を横書きで読む方法」を記載する。
まず、ネット記事のようにサクサク文章を読むためには、「横書き」だけでなく「縦スクロール」機能も必須となる。
「縦書き」かつ「ページめくり」の形式の場合、画面に対して視線が上下左右にせわしなく動くが、「横書き」かつ「縦スクロール」の場合は、手元でスクロールすることで視線は横移動だけで済む。
スマホのように縦長の画面の場合、この差は大きい。
「横書き」+「縦スクロール」が素晴らしいUIで実現できる電子書籍リーダーは、2022年現在bREADER Cloud一択だ。
紀伊國屋書店のKinoppyもこのアプリが土台となっており、横書きはできるが縦スクロールが出来ないhontoなどのアプリよりもUIが非常に優れている。
bREADER Cloud上で横書きで本を読むためには、epubという形式で本をインポートする必要がある。
著作権などセンシティブな問題があるので、「一般的な本をepubにする」ための具体的な方法はここでは触れないが、青空文庫のepubであれば無料で公開されているので試してみるといいだろう。
(青空文庫は普通にWebでアクセスしても横書きで見られるのであまり恩恵はないかもしれないが…)
人はそれぞれ得意なインプット方法がある
ここまで具体的な方法を記載したが、改めてなぜ僕が「縦書き」が苦手で「横書き」が得意なのかを考えてみた。
まず「縦書き」が極端に苦手なのは、僕が幼少期から全く読書をしてきていないからだ。
読まなきゃ読めない。当たり前だ。
しかし、読んできた文章の量、その総量は、もしかしたら同世代の読書家の人と比べても遜色ないのではないか、と思っている。
僕は幼少期からインターネット漬けで、一般的な同世代が外で遊んだり本を読んだりする時間を全てモニタに齧りつきインターネットをする時間に充ててきた。
それによってITリテラシーはそれなりに培われたと自負しているが、恐らく、同時に僕のインプットスキルが「横書き」に特化される、ということも起こっていたのだろう。
最近、Togetterでの面白い議論をみつけた。
昨今の若者は「動画」「音声」を中心に情報を収集していて、文字ベースである本はおろか漫画すら「効率が悪い」というのだ。
これに対し、「文字中心」の世代は「文字を読まないからだ!可哀想に」と上から目線を投げかけるのではなく、
「発達している情報のアンテナが違うということを理解すべき」、ひいては「文字世代は耳が未発達と認識すべき」とする議論だ。
思うに、人は誰もが成長段階で情報収集のために何かしらのアンテナを磨いている。
昔ながらの読書家の人々はそれが縦書きの文章であり、今どきの若者は「耳」であり、そして僕は横書きの文章だった、ということなのではないか。
冒頭でも書いた通り、僕は「縦書きの本」を生涯で恐らく10冊も読んでいない。
しかし、不思議なことに生活や仕事で困ったことはない。
むしろ、語彙力や表現力は人に褒めてもらえることもある。
これはきっとインターネットで大量の文章(質はさておき…)に触れてきたからであり、縦書きの本が読めないからといって必要以上にコンプレックスを感じる必要はなく、誰もが自分に合った方法でインプットをし続ければ良いだろう。
とはいえ世の中のほぼ全ての「知」は書籍にあり、インターネットに転がっている情報にも限界があるので、「本」にアクセスする方法は持っておくべきだ。
「耳」世代はAudibleなどを使えば良いし、僕のように横書き特化の人間はこのブログに記載したような工夫をしていけば良いだろう。