映画「ドクター・ストレンジ」レビュー:人生における大切なものを見つめ直すきっかけをくれた作品
作品情報
タイトル:ドクター・ストレンジ
公開年:2017年
上映時間:115分
監督:スコット・デリクソン
あらすじ:
傲慢で天才的な外科医でありながら、不慮の事故で両手の機能を損なわれ、全てを失ったスティーヴン・ストレンジ。 絶望の淵にあった彼が最後にたどり着いたのは、人知を超えた“魔術”の力。 自分の手を治すために魔術の修行に励む中、しだいに強大な敵との戦いに巻き込まれていく。 しかし、医師として人の命を救うことへの誇りを持つ彼は、敵であっても人を傷つけたくない。 医師ゆえに敵ですら傷つけられないということに葛藤する彼は、いかにして世界を守るのか? (Filmarksより)
感想・評価
鑑賞したこの日この瞬間、まぎれもなく、この映画は僕の物語であった。
色々なタイミングが重なり、この映画のストーリーと僕の近況があまりも重なったので、自分語りとして思いの丈を残したいと思う。
映画の序盤のシーン。
名声におぼれて命を選別する、高慢な医師のスティーブンが描かれる。
その姿に、かつての自分が重なった。
2019年。
サラリーマンの僕に異動の転機が訪れ、泥臭い現場から一転して本社勤務となり、子供の頃から大好きな「デジタル」が仕事になった。
通勤時間は片道1時間程度とかなり長くなってしまったが、希望の職種に就けた喜びと、「往復の電車内で映画1本観られるじゃん!」とウキウキ気分全開でいた。
ところが、仕事における「デジタル」は、想像していたような楽しい世界ではなかった。
そこは、僕が子供の頃から没頭してきた面白く自由な世界ではなく、論理と効率に縛られた不自由な世界だった。
僕はだんだん無機質な価値観にあてられて、私生活でも効率を重んじるようになっていった。
通勤時間の映画鑑賞においても、観るだけじゃ勿体ないと、感想をSNSにしたためるようになった。
そのうち、月に何本、年に何本、という鑑賞本数の目標を掲げるようになった。
映画鑑賞による心の充足よりも、SNSの数字を重視し始めた。
感想を書くために、興味のない映画を観ることもあった。
ただ大好きで観ていた映画の時間が、窮屈になっていった。
主人公の医師スティーブンは、本当は誰よりも命を救いたいという気持ちから、知恵と技を身につけた。
彼もまた、医療の論理と効率に振り回され続け、自分がいちばん大切にしていたことを見失ってしまったのかもしれない。
印象深いシーンがあった。
延髄に銃弾が入った患者をスティーブンが救ったあと、患者の家族に感謝されているガラス越しのショット。
遠く、無音なカットだったのは、彼の心の中が現れているようだった
本当は、その瞬間を何よりのやりがいにしていたはずなのに。
名声だけを追いもとめるようになり、軽薄な態度で命に向き合いつづけるスティーブン。
そんな様子を神に見透かされたかのように、彼は一夜にしてどん底に堕ちる。
スティーブンを襲った災いのように、コロナによって僕の通勤時間と“効率的な映画鑑賞”の時間は壊された。
が、すでに大切なものを見失っていた僕は、あの手この手でもがいた。
とにかく、時間を無駄にはしたくない。
YouTubeを始めたり、ブログを新しく作ったり、無我夢中でバタバタと動き回った。
が、とうとうそのうち、何もかもがどうでもよくなってしまった。
スティーブンは事故によって、キャリアも、財産も、最良のパートナーの信頼も、すべてを失った。
唯一、彼のもとに残ったものがあるとすれば、恋人から贈られた腕時計くらいだ。
失われたものを取り返そうとある場所を目指すが、あろうことか、道中に暴漢に襲われ、その腕時計すら壊されてしまう。
だが…すべてを失ったとき、彼の新たな冒険への扉がひらかれた。
「高くつくぜ」 「いくらだ?」 「金じゃない」
僕は全てに疲れ、試みたすべてから目を背けるかのように、映画を観ることすらしなくなっていた。
本当は、ただ映画が大好きなだけだった。
ただ映画をみて、感動して、友達と感想を交わす時間が大好きなだけで、名声や効率なんてどうでもよかった。
大切なものを見失った僕のもとに、自分を見つめなおすために、どこかからこの映画が贈られてきたのかもしれない。
スティーブンは、「多くの人の命を救う」という大切な使命に立ち返った。
僕も彼にならい、映画をみる時間、自分のペースでインターネットを楽しむ時間、何よりも大切なそれらの時間をゆっくりと取り戻し、生涯大切にすることを誓った。
視聴リンク
採点
この映画の評価は…
★8:これを切り口に映画の話を振れる